<由緒> 『風土記稿』によると、上内川村には四社の女体権現社があり、一つは 松高組の鎮守で松高寺持の社、一つは金杉組の鎮守で蓮蔵院持の社、 一つは新堀組の鎮守で西蔵院持の社、一つは船戸内組の鎮守で 蜜蔵院持の社であった。一方、下川内村にも五社の女体権現社が見え、 いずれも村の鎮守であった。恐らく内川村が開かれた時に 女体権現社一社が勧請され、耕地が広がるにつれ 次々に分祀されていったものと推測される。 (中略) 明治四十四年と大正元年の二回に分けて、新堀の村社女体神社をはじめとする 二八社が、松高無格社女体神社に合併されることになった。 これを機に社名をを内川神社と改め、現在に至っている。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
庚申塔 境内末社 ------------------------- ------------------------- 昭和10年(1935)建立 流れ尾形狛犬 |
<参拝メモ> 埼玉県道・千葉県道19号越谷野田線、吉川町上内川地区に鎮座している。 すぐ北は松伏町に接し、又東を流れる江戸川を越えると 千葉県の野田市にも近く、交通量も多い、。 何時の日か修復、再建されたのだろうか、社殿は荘厳な作りではないが、 昭和10年建立の流れ尾形狛犬は、昭和時代の作にしては 素晴らしいものだった。 (駐車スペースあり) |