<由緒> 江戸川右岸の水田地帯である当社は、『風土記稿』によると、 平本主膳が開発したとされ、同家系図に「慶長十七年(1612)下総国小金大谷口の 浪士平本主膳定久一八歳の折に入植」とある。 当社の創建について『風土記稿』は「主膳当所開発の頃、隣村三輪野山村の 三輪明神を移し祀れりと云」とあり、更に「村の鎮守にして、大光院持 末社 水神 天神 稲荷」と載せている。 隣村の三輪明神とは現在現千葉県流山市三輪野山にある三輪神社で、 古代には式内社茂侶神社と呼ばれた古社であり、祭神は大物主命である、 当社を管理していた大光院は隣接して阿弥陀如来を安置していたが、 幕末には無住となり明治初期に廃されている。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
天神社 ------------------------- ------------------------- 昭和3年(1928)建立 流れ尾形狛犬 内陣の狛犬 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
<参拝メモ> かってこの辺りは一面の水田地帯だったのだろうが、今は道沿いに 住宅や商店が立ち並び、市街地になっている。 この神社も昔は周りを社叢林に囲まれていたのだろうが 今は、日当たりの良いあっけらかんとした境内になっている。 (駐車スペースあり) |