<由緒> 当地一帯は、『和名抄』に載る男衾郡八郷の内の「榎津郷(えなつごう)」に 比定される地で、渡来系民族「壬生吉志」氏の在所であった。 当社はこの榎津郷に祀られた『延喜式神名帳』登載の「稲乃売神社」であると伝える。 「地理志料」では、「稲乃売神」と『三代実録』貞観六年(875)十二月の名に載る 「稲娶(いなづめ)神」が同神で、更にこの「稲娶」の音と旧郷名「榎津」の音が通じることから、 当地に稲乃売神社が祀られたと推測している。 古代の祭祀は、『類聚三代格』の貞和八年(841)五月条に「男衾郡榎津郷戸主 外従八位壬生吉志福正」とあることから、壬生吉志氏が行った可能性がある。 恐らくこの時期、福正が当社に関与し、豊穣をまたらす稲霊を祀り、郷民の 安泰を願ったのであろう。 社名は、恐らく氷川信仰の流布により「氷川社」に変更されたものと推測され、 これが幕末まで続いたが、時流により明治初年、旧社名の「稲乃売神社」に復した。 ちなみに、社蔵の宝暦七年(1757)の社号額には「氷川大明神」と刻まれている。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
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