<由緒> 上馬場の開発は、岩付太田氏の家臣であった浜野昭家の先祖が行ったといわれ、 観音寺の寺伝には「浜野家の先祖の藤原清忠は、天文三年(1534)に 馬場開発の権利を得てこの地に移住し、やがて浜野と改姓した その子大学は、父の霊を祀るために自分の屋敷内の鶏鳩塚と本家北側の 開基塚に分骨し、その塚の脇に一寺を建立した。 この寺は、十一面観世音菩薩を本尊とすることから観音寺と命名され、 元和七年(1621)に落慶した」との旨が見える。 (中略) 一方、当社は、浜野氏が岩槻からこの地に移住してきた際に守り神として 持ってきたものといわれている。 (中略) 「浜野大学が守本尊である天神社を邸内に祀っていたところ、一村の者が よく崇敬するので、別に一社を建てて村の鎮守とした。このことは、 馬場の村名が天神社の本社のある京都の北野右近馬場に通じると、 村民を大いに喜ばせた」とのことであり、本殿には浜野家邸内の天神社に 納められているものと同じ像容の天満天神像が安置されている。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
昭和53年再建の本堂 須賀社と稲荷社が相殿 -------------------------- ---------------------------- 文久3年(1863) 癸亥(みずのとい)6月 當邨 紙屋 ○五郎 |