東京都台東区・蔵前神社>古社巡拝録
蔵前神社 くらまえじんじゃ |
ご神紋 左三つ巴 |
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ご祭神 | ・応神天皇(おうじんてんのう) ・神功皇后(じんぐうこうごう) ・姫大神(ひめのおおかみ) ・倉稲魂命(うかのみたまのみこと) ・菅原道真公(すがわらみちざねこう) ・塩土翁命(しおつちのおきなのみこと |
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鎮座地 | 東京都台東区蔵前3-14-11 | |
参拝日 | 2015.3.27 |
<由緒> 徳川第五代将軍綱吉公が、元禄六年(1693年)八月、 江戸城鬼門除の守護神・徳川将軍家祈願所として、京都の石清水八幡宮を勧請。 御朱印社領二百石寄進。勧進大相撲発祥の地。 (東京都神社庁HPより) |
福徳稲荷神社 ------------------------- ------------------------- 昭和30年(1959)建立 狛犬 |
<参拝メモ> 隅田川に架かる厩橋南西、蔵前3丁目に鎮座している。 現在の両国国技館(2代目)が出来るまでは ここ蔵前に国技館があり、この神社も相撲とのかかわりが深い。 浅草の幕府米蔵の近くに〔八幡さま〕がある。 これは元禄のころ、石清水正(しょう)八幡宮を勧請したもので、 別当を大護院と号し、護摩堂の本尊・五大明王は、運慶の作だそうな。 八幡宮境内の絵馬堂の中で、風穴の仁助と押切の定七が、 七日に一度の、「連絡」(つなぎ)を、つけていた。 定七は昨日、八幡社の絵馬堂で仁助にいった。 越後屋をぬけ出し、近くの石清水八幡門前の茶店で、 風穴の仁助は押切の定七と会っていた。 ときに、七ツ(午後四時)ごろであったろう。石清水八幡から、 瓦町の越後屋まで十町に足らない。いかにも明るい春の夕暮れである。 この道は、浅草御門から金竜山・浅草寺へ通ずる往還だけに、 夕暮れどきの人通りがはげしい。 池波正太郎作 鬼平犯科帳 (九)浅草・鳥越橋)より |
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