<由緒> 当地はかって長者峰と呼ばれ、北野の中で一番高い所にある。 口碑に「当社はいつのころか五人の者がここに入った時に土地の神を祀ったもので、 村の始まりと神社を祀り始めたのは一緒であり、この五戸を西内手組と呼んだ」とあり、 「稲荷様として正式に祀ったのは、文政七年二月に当地の小暮孫兵衛という人が 伏見の稲荷神社に願って分霊を祀った時からである」という。 更に、藤森稲荷の社名は境内に大きな藤が二本あることによる。 この藤にかかわる口碑に「昔境内の藤を切る相談を氏子がしていたら突然二〇bもの 火柱が藤の上に立ったため、以来、この藤は切らない」という。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |