<由緒> 新堀は、見沼代用水の右岸に位置する農業地域で、比較的早い時期から 村内が上・下に分かれ、各々に村役人が置かれ、鎮守も別々に祀っていた。 『風土記稿』新堀村の項に「久伊豆社 ニ宇 共に村の鎮守にして、 一は南蔵院持、一は観音寺持」と記されているのは、そうした状況を 示すものである。 当社は、右記の二つの久伊豆神社のうち「南蔵院持」の社で、 上新堀の鎮守として祀られてきた。 久伊豆神社の祭神は、一般に大己貴命であるが、当社では宇賀御魂命が祭神である。 それは、、天明の飢饉の際、村民が京都に行き、村内繁盛・五穀豊穣・子孫長久を 願って、伏見稲荷から「正一位宇賀御魂久伊豆大明神」を勧請したことによるもので、 天明二年(1782)九月に白川従二位神祇官領太常伯資顕王が記した 添書が現存している。神仏分離の後、明治六年に村社となり、同二十九年に 本殿と拝殿を改築した。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
拝殿内の随身と絵馬 ------------------------- ----------------v--------- 明治28年(1895)建立 江戸立尾形狛犬 |