<由緒> 鎮座地の大字台は、星川の左岸に位置する農業地で『風土記稿』 台村の項によると、化政期(1804−30)には一八八戸の大きな村になっていた ことがわかる。更に、当社について「久伊豆社 村の鎮守なり、久伊豆寺持」と 記していることから、江戸期は、当社に隣接していた久伊豆寺が別当として 社務にあたっていたことがわかる。 また、当社は、かって広い境内地を有していたことから、この土地を利用して、 地域のために三箇小学校を建設することになり、明治四十二年十一月十八日に 当時の境内地の中で南側の現在地に社殿を移転した。 しかし、社殿の東脇にあった銀杏だけは、神木であったことから伐られることなく残された。 なお、この移転に際して、この時期に進められた政府の合祀政策に従い、村社であった 当社に地内の字南の八坂社、字向野の熊野社、字九ヶ所(くかせ)の九ヶ所社及び 浅間社を合祀した。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
弁財天 不動 出世石尊宮 神明神社 天満神社 九ヶ所神社 熊野神社 八坂神社 |
<参拝メモ> 当社の社名については、「ひさいず」「くいず」の両方が伝えられ、 人によって呼称がまちまちであったが、近年は正式な場では「くいず」の 称が使われることが多いことから、中年層より若い人は「くいず」と呼ぶことが 多くなっている・・という。 なお、別当であった久伊豆寺は、神仏分離によって廃寺となったという。 (駐車スペースあり) |