<由緒> 当社は七世紀初頭に当地の土豪を埋葬したものと思われる帆立貝式の古墳上に鎮座しており、 社名の「土屋」は、古墳内に石室があることによる。石室は本殿真下にあり中に石像がある。 社の創建ついては、村人が昔からある古木に囲まれた塚に対して畏敬の念を感じ、村鎮守として 小祠を建てたのに始まると思われるが、そのほかにも、本山派修験山本坊配下大蔵院が 当社の別当として、信仰的にも影響を与えていると考えられる。これは本社の土屋権現社よりも 末社浅間社の信仰に端的に表れ、塚上にある社を浅間山に見立てて盛んに祈祷を行った。 土屋大明神像 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
拝殿内扁額 「老幹新枝」 浅間社 神楽殿 天神 稲荷 樹令1000年余り,目通り周囲8.5mの杉の巨木。 |
<参拝メモ> 境内にあった神木の杉には、当社が修験の影響を受けていたころからの伝説がある。 この杉には、昔、テンムサ、あるいはテンマサといわれ、二つあった太陽の一つを退治した 化け物がいた。退治された太陽は、ばらばらになって地上に落ち、残ったのが月である。 また、落ちた太陽のかけらを祀ったのが入西(現坂戸市西部の辺り)で、太陽を退治する 相談をしたの所が、入東(現川越市南西部の辺り)と呼ばれた所であるという。 このため、現在でも境内で遊んでいる子供はテンムサを恐れ、夕方になると早く家に帰るという。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より この神社について、先ず社殿裏にそびえる、枯れた大木に驚いた。 しかし、枯れ木と思ってよく見ると、わずかに葉が茂った枝が残っていた。 未だ生命が残っているのだろうか。力強く復活してくれるよう、祈らずにはいられなかった。 (駐車 路駐短時間) |