末社殿 神楽殿 弁財天 |
<参拝メモ> 康平年間(1058−65)、八幡太郎義家が奥州征討の際此地に訪れたが、 越辺川・荒川の増水により、渡ることができぬまま滞陣し、村の西方にある 古塚に腰をかけた。このため、此の地を塚腰と呼ぶようになり、後に変じて 塚越と書くようになったと伝える。「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より かっては郷社であり、北関東十二郡の総社だっただけに、 鬱蒼とした社叢林と広い境内、それに立派な社殿の神社だった。 神社前の池はきれいに整備されて、弁財天が祀られていた。 (駐車 路駐短時間) |