嵐山町太郎丸・淡洲神社>埼玉の神社>古社巡拝録
太郎丸・淡洲神社 たろうまる あわすじんじゃ |
神紋 丸に鷹の羽 |
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ご祭神 | ・ |
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鎮座地 | 埼玉県嵐山町太郎丸373 | |
参拝日 | 2016.7.06 |
<由緒>
太郎丸は
『風土記稿』に「古は水房村の内なりしが、寛文五年(1669)検地ありしより、
分かれて枝郷となれり、此検地の時村民太郎丸といへるもの
、案内せしよし水帳にしるしたれば、当村は此太郎丸が開墾せし地にて、
村名とはなれるにや。家数二十余」と見え、江戸初期に分村した際に、
開発者の名を村名とした旨を記している。
社伝によれば、元禄八年(1695)の再建棟札が残されていたというから、
このころには一村として安定していたのであろう。
当社は、本村の水房村の鎮守である淡洲明神社を開墾の際に
分霊して祀ったと考えられる。
淡洲神社は他に六社あり、
滑川町伊古の伊古乃速御玉比賣神社を中心に
それを取り囲むように放射状に分布しているのが特徴である。
同社も江戸時代には淡洲明神社と称していた。
これは近世の淡島信仰によるもので、その本社は和歌山県加太の式内社、
加太神社(淡島明神)とされるが、一説には同県下下津町方の粟嶋とも考えられている。
他県には粟島・淡島神社が多く、埼玉県内は洲が島と同義語なので
淡洲神社と表記している。
「埼玉の神社 埼玉県神社庁」より