<由緒> 当社は、元来は明王寺の境内鎮守として祀られていたが、宝暦九年(1759)に 現在の鎮座地である宇山越に移された。明王寺は『風土記稿』に「真義真言宗、 京都蓮台寺末、高見山正覚院と号セリ、開山詳かならず、中興開山を元重と云。 本尊は地蔵なり」と記されている。 古老の伝えによると、同寺が奥ノ院として京都から移してきた愛宕様の本体を祀ったという。 それが現在も本殿内に奉安されている勝軍地蔵で、高さ三〇センチメートルほどの 白馬に乗った見事な像である。 明治四十年四月三十日に、字竹之鼻の村社辺取神社、字山越の阿夫利神社、 字四ツ山の疱瘡神社、八雲神社、熊野神社、字上之前の尺司社、字六所の六所社、 字山越の浅間神社、字日丸の天神社、能増字八幡の村社八幡神社、 同字町場の菅原神社の一一社を合祀した。 これを機に当社は現社号に改められた。 勝軍地蔵像 「埼玉の神社 埼玉県神社庁」より |
不動明王 享和3年3月24日別当明王寺 ------------------------- ------------------------- 昭和16年(1941)建立 子連れ炎尾形狛犬 境内からの眺望 東方面 |
<参拝メモ> 能増の八宮神社から、寄居方面へ車を走らせていると、「四津山神社入口」の看板を発見。 前回小川付近を回ったときは時間の都合で外した神社。 序での参拝では申し訳ないが、次回は何時になるかわからない・・ということで、 車をバックさせ、左折。近くと思っていたら意外と奥だった。 山の麓に鳥居があり、近くに停車。神社もすぐそこ・・と、軽く考えていたのだが 長い山道と石段を上がることに。歩きつ続けて息があがるころ、やっと神社に到着した。 しかし、苦労の甲斐あって、境内からの眺めは最高だった。 能増八宮神社からの四ツ山 (駐車 神社山麓に路駐) |