<由緒> 当社の創立は『風土記稿』に「村の鎮守なり、万治二年の頃 勧請と云。真光寺持」とあり、同村に鎮座の天神社は「文明の頃 古河城鎮護のため、京都北野を写して勧請すと云ふ」と記す。 天満社はその昔、古河城構築の際、度々堤が切れ、いたずらに 月日を費やし、困難を極めたことから城主自ら天満社と正観音の霊に 祈願したところ、霊験により流水が緩やかになり、程なく竣工したため、 城主が二神を敬い天神社と正観音を祀ったと伝える。 明治四五年には前記の天神社ほか六社が当社に合祀され、 同時に、河川改修により、当社を字北通から現在地に移転した。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
拝殿内の額絵 文化四年(1807)建立 狛犬 |
<参拝メモ> 加須市と茨城県古河市を結ぶ三国橋西に鎮座している。 すぐ脇は渡良瀬川の堤防で、参拝するには 道を少し下りなければならない。 地名の通り、川向うは古河市で 埼玉県も県境に鎮座する神社である。 (駐車スペースあり) |