<由緒> 源頼朝の分国であった武蔵国においては、源氏以外でも自分の居館に 八幡社を祀って氏神とするものが少なくなかった。 当社もそうして祀られた八幡社の一つと推測され、中丸城主の春日氏の 崇敬が厚かったことと思われる。春日氏は、江戸時代には旗本として 旧領の中丸村を安堵され、当社の祭祀は大島・加畑・倉浪家など、 帰農して草分け百姓となった元家臣によって継続された もののようである。 内陣には、厨子に入った騎乗の八幡大明神像(木造)が 納められている。 八幡大明神像 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
八雲社 稲荷社 |
<参拝メモ> さいたま市西区から、春日部を結ぶ県道2号線、 見沼区大和田交差点を、南に250メートルほど入った所に鎮座している。 周囲は住宅やや学校などになっているが 当社は未だ社叢を残し、面影を残しているようだった。 (駐車スペース不明・参道が狭い) |