<由緒> 広々とした田畑に囲まれて西城の東端に鎮座する当社は、 古くは大天獏社と呼ばれ、地内にある長慶寺の持であった。 このことは、『風土記稿』の記述や拝殿内の古い社号額から知ることができる。 古来、西城の村は、郭と呼ばれる幾つかの小さい集落に分かれ、 この郭を単位として様々な行事が営まれてきた。 神社の祭祀もまた、元来は、郭を単位として行われており、郭ごとに鎮守として 各々神社を祀っていた大天獏社と呼ばれていたころの当社は、そうした郭で祀る 神社の一つであり、本郷の人々によって祀られていた。 明治維新の後、社格を定めるに当たり、村内の諸社の中で最も規模が大きく、 村の中でも最も早く開かれた本郷の鎮守であったことから、当社が西城村の村社になった。 『郡村誌』にはまだ「大天白社」と記されているので、恐らく、明治九年に村社となった時に 村名を採って西城神社と社名を改めたものであろう。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
勝根神社 祭神:大物主神 |
<参拝メモ> 『大里郡誌』には、当社の信仰について「気管支病に霊験ありと言ひ奉賽に 麦煎粉を献じ祈願するもの頗る多し」、祭祀行事について「古来御祭神の好ませ給ふ ところとて角力の行事あり現に他の行事は一切行われず」と載せているが、 いずれもかなり以前に忘れられてしまったらしく、 今では実際にあったことを知る人はいない。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より 先に参拝した上須戸の八幡神社南、至近のところに鎮座している。 (駐車スペース有) |