熊谷市中曽根・南市田神社>埼玉の神社>古社巡拝録

南市田神社
みなみいちだじんじゃ
 
ご神紋 左三つ巴
 ご祭神 
 鎮座地 埼玉県熊谷市中曽根150
 参拝日 2015.3.12

<由緒>

明治二十二年、中曽根・小泉・屈戸・手島・沼黒・吉所敷・津田新田・高本・上恩田
・中恩田・下恩田の一一か村を合併し、市田村が誕生した。
村名は和名抄に見える市田郡にちなむものであった。
当社は、明治四十三年にこれら旧村の内の中曽根・小泉・屈戸・手島・沼黒・吉所敷
・津田新田に鎮座していた各社を遷座統合し、市田村の中心的な社として創建された。
社地については、中曽根村の村社であった五社神社の境内地が選ばれた。
これは、
中曽根地区に市田村の役場が置かれ、行政的な中心地であったことによるものである。
社名の「南市田」は、荒川対岸の熊谷市久下に北市田の小名があり、これに対して
南にあある市田の意を表している。ちなみに、この「北市田」は、江戸初期の
荒川開削以前は市田村と陸続きであったという。


(埼玉の神社 埼玉県神社庁より)
















本殿





八坂神社石碑(中央)他
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昭和11年(1936)建立 炎尾形狛犬
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神楽殿



<参拝メモ>

鎮座地は、熊谷市南西部、旧大里町になる。

氏子区域は、いわゆる一村一社制により神社合祀が行なわれた結果、
市田村全域すなわち合併した旧村名を継承した一一大字となるはずであったが、
実際には七大字に限られた。氏子区域から外れた上恩田・中曽根・下恩田の
三大字では、中恩田の諏訪神社に各社が合祀された。
同じく高本では、鎮守の高城神社がそのまま残された。
これは、上・中・下の恩田は中世伊勢神宮の神領であったとの由来があり、
また高本の高城神社の場合は式内社であったとの伝えがあったことが、
合祀政策の際に考慮された結果であろう。
(埼玉の神社 埼玉県神社庁より)

広々とした田園が続いてる、長閑な一帯に点在する神社の一つだが、
歴史をたどると、様々な変遷があったことが知れる。


(駐車スペース有)



     
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