熊谷市妻沼・白髪神社>埼玉の神社>古社巡拝

   白髪神社(ごんげんさま)
しらかみじんじゃ


 ご祭神
白髪武広国押稚日本根子命(清寧天皇)
(しらがたけひろくにおしわかやまとねのみこと)

天鈿女命(あめのうづめのみこと)
猿田彦命(さるたひこのみこと)
倉稲御魂命(うかのみたまのみこと)

 
 鎮座地 熊谷市妻沼1038(妻沼字女体)
 参拝日  2014.9.18

<由緒>

妻沼の地は、かって利根川の乱流地帯であった。
口碑によると、利根川が繰り返し流れを変えるうちに、上下に同形の大きさの沼が生じ、
上に男体様を祀っていたので「男沼」、下に女体様を祀っていたので
「女沼」と称するようになったという。一方、妻沼聖天様宮の縁起によれば、
昔伊弉諾・伊弉冉の二柱の神の鎮座により、女沼・男沼と称したという。
いずれにしても、当社の鎮座地の小名である女体は、この「女沼」に由来するものであろう。
一説に、当社は『延喜式』神名帳に載る幡羅郡四座のうちの一座「白髪神社」であると伝える。
これは『風土記稿』幡羅郡の中に白髪社が当社一社(実際は「稲荷白髪社」とある)
だけであることをその論拠としている。しかし、地形的にみて低地である現在地に
社が奉祭されたとは考えにくく、後に他所から遷座してきたものと推測される。
これについては『大日本史』の「白髪社、今妻沼村に在り、白髪明神と称す。
大我井森に在り、後今の地に遷る」との記事が参考になろう。
大我井の森とは、当社鎮座地南方の微高地にある聖天山歓喜院の境内一帯を指す。
あるいは、女体様が座す女沼を切り開いて耕地となし、
村落を形成してゆく中で、村鎮守としての稲荷様が祀られ、更に、大我井の森から
白髪社が遷座されたのであろうか。なお、白髪神社の創建には、清寧天皇の
白髪部(しらかべ)とのかかわりが考えられる。

二間社の本殿には、向かって右に白髪明神像、左に稲荷明神像が
それぞれ奉安されている。


稲荷明神像〈左) 白髪明神像(右)


「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より

















<参拝メモ>

埼玉と群馬を結ぶ刀水橋の東 、利根川の土手を背にし、
畑中の細い道の突当りに鎮座している。
旧式大社ということで大きな神社を想像していたのだが、
意外に小さな祠のような社だったので、少々驚いた。




(駐車スペース有)





   
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