<由緒> 弥藤吾は、弥藤五とも書く。 その地名の由来については、『風土記稿』に「土人の伝に村名は、往昔幡羅の大殿と号せし 長井太郎義兼が養子、弥藤五藤原真幹当所に住せしより起こると云」と記されている。 『風土記稿』によれば、幡羅郡内の氷川社は、当社のほかに葛和田の神明社の合殿に 一社あるのみで、いずれも武蔵国一ノ宮氷川神社から勧請されたたとの伝承を有する。 当社の創建年代については明らかでないが、境内にそびえ立つ、幹回り六�㍍もある 大欅(神木)の枝葉を大きく広げる姿が、古社であることをうかがわせる。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |