<由緒> 当社の創建は、別当であった地内の天台宗泰平山地蔵院安穏寺の法印により行われたと伝える。 社名である「渡唐」に字義については、室町時代に禅宗の学僧が学問の祖と崇めた天神を、 己が根本心理の禅の教えと結びつけ、「天神が宋に渡って禅を学んだ」という教えを 広めたことに由来する。 「埼玉の神社 埼玉県神社庁」より |
駒形明神 厳島 八坂 順海 三峰 |
<参拝メモ> 熊谷市と寄居を結ぶ埼玉県道81号線、 押切橋東に鎮座している。 当地には「権田栗毛」の伝説が語られる。 これは、明治四十年に字駒形から当社に合祀された駒形明神にまつわるものである。 『風土記稿』によると、昔、万吉村の矢の根鍛冶を業とする権田某が、 熊谷真実の所望により譲った栗毛の駿馬は、一の谷の源平合戦で活躍した後、 故郷へ帰れと乗り捨てられ、遠路はるばる当所へ至り、ついに息途絶えた。 このため、村人は、この馬を権田栗毛呼んで手厚く葬り、駒形明神社を建立したと伝える 「埼玉の神社 埼玉県神社庁」より (駐車スペース有) |