<由緒> 『風土記稿』に、当地のことを「開墾の年代詳ならざれど、村内に肥塚殿と 称する古墳ありて、其碑に康元二年(1257)の銘あり、土人の伝に此地の領主 肥塚太郎九郎太郎光長と云し人なりと、康元は『吾妻鏡』のころなれば、古く 開けしことを知らる」とある。更に、同書は「稲荷社・弁天社・熊野社・八幡社・ 雀宮・天神社・辛(かのと)神社・姥(うば)神社・子神社・道祖神社・白山神社 以上十一社成就院持」と載せている。 このうちの稲荷社が当社であり、成就院は真言宗の寺で明治十五年に 忍東照宮の拝殿を移して本堂とし、当社の後方二〇〇bにある。 口碑に「昔の伊奈利神社は、寺鎮守であった。これが何時か村の鎮守になった」 と伝えている。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
<参拝メモ> 先に参拝した、箱田神社の北1kmほどのところに鎮座している。 いなり神社ということで、神使は狐かと思ったが 普通の狛犬が座っていた。 最初は稲荷社と称したらしいが、その後の合祀により、神社の性格も 変わってしまったようだ。 清掃も行き届いて、明るい神社だった。 (駐車スペースあり) |