<由緒> 当社の創建を、口碑と社蔵の棟札からうかがうと、次のようになる。 まず、口碑には、大字高柳字神取前に鎮座していた香取神社の社殿が、 天明6年(1786)に起きた中川の氾濫で、当地の松林まで流されてきた。 しかし、この社殿は、元の地に戻されず、当地で高柳村の総鎮守として祀られ、 村人から「大香取」と呼ばれるようになった。これが当社である。 一方、字神取前の氏子は、社殿流失後、しばらく社殿を設けなかったが、 悪疫が発生したため、改めて香取大神の神徳を仰がんと、元の地に祠を建て、 これを「元香取」と呼ぶようになったという。 寛政8年(1796)の棟札には、寛政元年同二年の両年にわたり、氏子が東西五間、 南北一〇間、高さ六尺の規模で土を盛り、この上に本社と拝殿を新築したとある。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
雷電社 浅間大神 ------------------------- ------------------------- 嘉永4年(1851)建立 両子連れ流れ尾形狛犬 |
<参拝メモ> 当地は元来、陸稲・大麦・小麦・大豆などを生産する畑作地帯であったが、昭和35年に 行われた農家の増収を目的とする土地改良事業により、水田地帯に一変した。 畑作地帯であった当時の水の供給源は、畑の傍らに掘った水だけであった。 このため、日照りには苦労することが多く、境内にある群馬県板倉町の雷電社から 勧請したと伝える雷電社も、このような背景から祀られたものという。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より (駐車スペース有) |