<由緒> 『風土記稿』は、往時の当社を「八幡天神稲荷合社 定福院持、古は大社なりし由 元禄改の国図、当社と覚しき辺に八幡社とあり、当社のことにや」と記している。 別当であった定福院は、山号が八幡山であり、現在本堂わきにある阿弥陀薬師堂は、 寛永年間(1624−44)、八幡社の本地阿弥陀如来を祀るために建立された本地堂であると 伝えることから、当社は、古くは八幡社であったと思われる。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
------------------------- ------------------------- 嘉永3年(1850)建立 流れ尾形狛犬 |
<参拝メモ> 国道125号線、佐間西交差点近くに鎮座している。 道路からは神社らしき鳥居も見当たらず少し迷ったが、隣にある定福院というお寺の 八幡山という看板を見かけ、お寺の参道より進入。 鳥居はお寺に向かって立っており、かってはお寺と深いつながりがあったことを窺わせる。 定福院は石仏が沢山立ち並んでおり、立派なお寺だった。 (駐車スペース有) |