<瘤大神由来> ここは往時利根川堤防のありし処なり。 浅間下・下八幡下・千本下の地名も残り、常時樹木茂り、 昼なお暗きほどなりしとか。この木はその中の一本なり。 江戸時代末安政の頃、定泰寺の住持にて大阿闍梨純栄法印 通称豆木法印といい、鳥の鳴き声も人語として聞き分ける名僧あり。 これはめずらしき瘤の木なり、我祈りて後世の為に人々を救わんと。 三七二十一日の水垢離をなし、一心に祈願して神となす。 この神を祈らば如何なる病も瘤として妙なるべしという。 爾来、近隣の人々の信仰を集め、参詣する者絶ゆることなし。 ここにその功徳を称え、瘤大神の由来を長く後世に残すものなり。 昭和五十五年七月吉日。 西岡講中 神社脇「瘤大神由来」説明石碑より。 |
樹齢数百年といわれる、御神木のソロの木 瘤大神由来説明碑 |
<参拝メモ> 南大桑地内の雷電神社参拝後に、 瘤神社という名に魅かれて 細い道を辿り参拝。 神社とは言っても社は無く、鳥居と樹齢数百年という古木があるのみ。 神社と名称するには?だが、地図にも瘤神社と載っているので 敢えて瘤神社とした。 今なお、信仰し、支守する人々が居るのであろう。 信仰の原点を見るようで、心温まった。 (駐車スペース有) |