加須市・川圦神社>埼玉の神社>古社巡拝

川圦神社
かわいりじんじゃ

 ご祭神
水波能賣命(みずはのめのみこと)
・河菜媛命(かわなひめのみこと)
・宇迦之御魂命(うかのみたまのかみのみこと)
・軻遇突智命(かぐつちのみこと)

 
 鎮座地 埼玉県加須市外野153
 参拝日  2014.10.15

<由緒>

加須市最北部の外野は、利根川と古利根川の分岐点に当たる。
古利根川が利根川の幹流であったころは、坂東太郎の名の通り勇壮な流れを呈し、
このあたりで幾度となく流れを変えている。当地の地名外野は往時、
村がその堤外にあったことを示している。
当社は利根川の決壊を防ぐために、人柱となった巡礼母子の霊を慰めるために
建てられたという。
社伝によれば、創建を応永三四年とし、別当を大乗院が務めていた。
また、当時の社名は河入権現社であったという。
内陣には,稲束を持つ稲荷大明神像を安置している。

「埼玉の神社 埼玉県神社庁」より
















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昭和7年(193)建立 流れ尾形狛犬



大正12年(1923)建立 子連れ形狛犬






ある年、連日の大雨で水かさが増し、堤が切れそうになった。神や仏に一心に祈ったのだが、
水は一向にひかず、村人のなかから「人柱をたてなければ村が危ない」という声が出てきた。
そのとき、川が越えられないで近くに止まっていた六部に皆の目が向けられた。
興奮した村人によって、母娘2人の六部が激流に投げ込まれたのはそれから間もなくのことであった。
ようやく雨はやみ、堤もことなきを得たが、それから村に疫病がはやったり、
作物が不作になったり、悪いことが続くようになった。
洪水から村を救うためとはいえ、旅の六部を人柱として利根川に投げ込んだ村人は、
それがだれ言うとなくその後村に不幸が続くのは「六部のたたりだ」ということになったので、
恐怖に恐れおののき生きた心地もなくなってしまった。
村人の間では、「はやくなんとかなってくれればよいが」と心中で神々に祈ったのだが、
不幸は次から次へと続いた。そこで、村の長老は、村中に起こっている不幸と、
人柱の話を「このままにしては置けない」と寄り寄り相談をして、
六部の霊を川圦神社に祀り丁重に供養した。ところが間もなく不幸なできごとも治まり、
村人も安心して家業に精を出すことができるようになった。
人間はこのように、何か困ったことが起きると、自分に都合のよい理由をつけて、
何のかかわりもない人を犠牲にしやすいが、
それはやがてわが身にはね返ってくるものだ、ということを心しなければならない

<利根川上流河川事務所HPより>



(駐車スペース有)





   
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