<由緒> 『風土記稿』には「聖天社 村の鎮守なり、東西寺の持」と載る。また、当社とは別に 「二ノ宮社 長二尺、横一尺許の青石を神体とす、村民持」との記載があり、「二ノ宮社」は 当社とは別の社であったと思われる。『郡村誌』などその後の地誌には、聖天社の名が 見られなくなり、当社の社号が二ノ宮神社に変わっていることを考えると、聖天社に 二ノ宮神社を合祀し、社号を二ノ宮と改めたものと推測される。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
<参拝メモ> 花積(はなづみ)の地名の由来については、次の二説がある。 一つは「花積は『花摘』の意で、昔、この地から多くの花を摘んで慈恩寺の観音へ 供えたことにちなむ」という説、もう一つは「花積の『ハナ』は台地の突端部を意味し、 台地の先端部に人が住んでいることによる」という説である。 当社の境内は、ちょうど大宮台地慈恩寺支台の突端に位置し、古くからの集落も その近辺に形成されていることを考えると、後者の説の方が、説得力があるように思われる。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より (駐車 路駐短時間) |