<由緒> 当地は、大宮台地上にあり、南東部側を東縁高(鴻)沼用水が、 西部側を高沼排水(通称霧敷川)が流れる。 また、ここにある上落合は、江戸期を通じて氷川神社社領であった。 当社の創健年代は不詳であるが、口碑によると伊勢参宮を行った 村人が御師より御祓大麻を受け、これを当地に祀ったと伝える。 天保七年(1836)の「上落合村絵図」には、 村の東方に「神明宮」と記録されている 「風土記稿」には「村民持」とあり、氷川神社社領であったことから 別当寺は存在せず、村人の管理する社であった。 また、村鎮守としての維持運営費は、 「年貢皆済目録」(東角井家文書)によると毎年二俵が充てられていた。 安永九年(1780)七月、氏子の井山氏は「神明宮」の扁額を奉納している。 また、同年五月、井山源七と近藤伊兵衛が当社世話人の時 、「江府之筆屋清治郎・与野町菓子屋与左エ門」が、 さらに同年十一月、「当山由翁家与野町大黒屋彦兵衛」が 「所安全・諸旦方所縁之子供繁昌・家内安全」を祈念して 石灯籠を寄進している。 社殿は、古くより茅葺き屋根の入母屋造りであったが、 昭和五十八年四月五日、鉄筋コンクリート造りの社殿に改築している。 本拝殿は、銅板葺きの神明造りである。 2019.8.12追記 |
> > > > 稲荷社 > > |
<参拝メモ> JR埼京線北与野駅の東、 直近のところに鎮座している。 ここはさいたま新都心として 近年急発展してきたところで 高層マンションや官庁の高層ビルなども 立ち並び、神社はその一角に 静かに鎮座している。 |