当社の事跡について『風土記稿』は、「在家(上野本の小名)の 鎮守なり、氷川雷電を相殿とす。 当社往古は雷電一社にして、祭神別雷の神なり。(後略)」と載せる。 雷電社の史料は見当たらないが、比企丘陵という立地から 降雨並びに水利を司る神として、村人に祀られていたのであろう。 天正十八年(1590)、徳川家が関東に移封され、 その家臣渡辺重綱が当地に陣屋を構えてからは、 当社は渡辺家の武運長久の祈願所となった。 「埼玉の神社」埼玉県神社庁より |
------------------------- ------------------------- 昭和15年(1940)建立 立ち尾形狛犬 |
<参拝メモ> 当社は国道254東松山バイパスと県道407号線の 上野本交差点の南に鎮座している。 神社鳥居脇には花壇が設えられ 境内もきれいに清掃されている。 地域の人々に大切に守られているのだろう。 (駐車スペースあり) |