<由緒> 当社は『児玉郡誌』によれば、寿永年間(1182−85)に今井太郎兵衛行助が 当地に着任した際、その砦の乾(北西)の方に勧請したもので、境内の老杉は 行助の手植えであるという(落雷に遭い昭和32年伐採) 明治初年の社格制定に際しては村社となり、同四十年には字下郭の金鑽神社、 字塔頭の飯玉神社、字下田の稲荷神社、字松島の松島神社、字川越田の天神社、 字諏訪の諏訪社、字松原の天手長男神社、字雷電下の雷電神社の八社の無各社を合祀した。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
開闢木喰不動尊 三笠山 御嶽神社 大己貴命 八海山 日本武尊 別雷 八坂 八幡 天神 稲荷 稲荷 烏森 古峰 平成十四年建立 炎尾形狛犬 ------------------------- |
<参拝メモ> 関越自動車道、本庄児玉ICで下りて約1km、上里町へ向かう途中に鎮座している。 境内に入ると見事な桜の大木があった。 桜の時期は過ぎて葉桜になっていたが、あと、一週間早ければ見事な花が 見られたであろう。 (駐車スペースあり) |