<由緒> 当社は、七曲りと称する急坂を登り詰めたところにある嶽平(たけのたいら)と 呼ばれる平らな地に鎮座する。 『風土記稿』皆谷村の項では、「村内の鎮守」として載せ、続いて「別当明王院」 「不動堂」について記している。明王院は、光峰山大聖寺と号する越生郷西戸村 山本坊配下の本山派修験で、開山は寿仙(永和二年入寂)と伝え、神仏分離によって 廃寺となり、僧は復飾して稲葉姓を名乗り、神職となった。 なお、口碑によれば、当社は稲葉本家(明王院)が氏神勧請した社と伝えられ、 同家にはタケンテイラ(嶽平)の屋号がある。したがって当社の創建は、 稲葉家が入間方面から来てこの地に住み着いたといわれている南北朝時代の 中ごろのことではないかと思われる。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |
<参拝メモ> 大内神社から一気に、東秩父も最奥の神社若宮八幡神社へ。 カセットしたカーナビは、目的地であることを告げているのだが 一向にそれらしい建物が見当たらない。 細い山道を登っていくと見晴らしの良い所に出た。 花桃畑が広がり、なだらかな山並みが見渡せる。 目指す神社が見つからなくても、ここへ来たことだけでも良かった・・と、 半ば諦めて、下を見ると赤い屋根のお堂らしきものが見えた。 「もしかして」と思い今来た道を下り、桃畑の中にいた人を見つけ 尋ねると、やはり赤い屋根が、目指す神社だという。 ところが、参道らしきものもなく車も置けない。 見かけた人にお断りして、その人の家の庭に車を置かせていただき参拝した。 駐車スペースなし。 隣家(旧社家らしい)の庭に置かせていただいた。 |