《由緒》 『風土記稿』笹山村の項に当社が見え、「諏訪社、長崎村の鎮守とす。 当社の縁起として僅かに記せしものあり。其内に寛永四年(1627) 村民増田善右衛門なるもの、此社を勧請せしと見ゆ、江ヶ崎村南覚院と 黒浜村宝蔵院との持なり」と記している。 善右衛門の子孫にあたる増田正男家には当社の勧請について記した 「諏訪大明神縁起」(寛永四年)がある。 これによれば、善右衛門が長崎村の開墾の大願を果たすために 諏訪神社を祀ることを思い立ったころ、七月二十六日の夜に 光り輝く神が現れ、信州諏訪の社地から土を持ってきて 社殿を建てるように告げられた。そこで、善右衛門早速翌日 信州に旅立ち、お告げの通りにして社殿を建立したのが 当社の始まりであるという。同家の先祖は信州の出身で 天正十八年(1590)に小田原北条氏の足軽として 岩槻城に来たと伝えられる。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より |