行田市・下忍神社>埼玉の神社>古社巡拝録
<由緒> 当社の創始は、口碑に「下忍神社は昔、久伊豆神社と呼んでいた。 久伊豆神社は武蔵七党の一つ私市党の氏神で、 私市城の鎮めに祀った社である」というが、 私市党との関係は明らかでない。 まt『明細帳』には「昔ヨリ下忍村上組総鎮守ト仰キ云々」とあり、 『風土記稿』には「久伊豆神社村の鎮守とす 明光寺持」と載せている。 明治初めの神仏分離により寺の管理を離れ、明治二年に村社となり、 同三年に高畑の塞神社を境内に合祀し、同四二年には東谷の天神社を 本殿に合祀して、社名を下忍神社と改める。 合祀社のうち塞神社は、古くは道六神と称し、 既に「慶長十三年検地本帳」(島崎隆家所蔵)にその名が見えることから 古社であることが分かる。 また、琴平神社は、旧別当明光寺の本山、行田遍照院の金毘羅大権現であり、 神仏分離により下忍飯田萬吉家に移され、次いで当社に合祀したものである。 内陣に、「弘化四年開帳供養」の墨書がある金毘羅權現像(二四a)を安置している。 「埼玉の神社 埼玉県神社庁」より |
下忍神社社殿 合祀社 琴平神社 琴平神社社殿 琴平社神紋 ------------------------- ------------------------- 昭和34年(1959)建立 流れ尾形狛犬 |
<参拝メモ> 行田市西部、鴻巣市と熊谷市を結ぶ熊谷バイパス沿いに鎮座している。 下忍の下は、上(殿様)に対するもので、当地は武士が住んでいたことから、 忍城に対して下忍と呼ぶようになった。 参拝に訪れた日は好天で、社頭の公孫樹が黄色く色ついて美しかった。 隣接する琴平神社は社殿の作りも下忍神社と同等で 同じ格の神社が二社並立している感じを受けた。 (駐車スペース有) |
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