東京都中央区・福徳神社>古社巡拝録

    福徳神社(別名・芽吹神社)
ふくとくじんじゃ
 
ご神紋 稲の丸
 ご祭神  倉稲魂命〈うかのみたまのみこと〉
 鎮座地 東京都中央区日本橋室町2-4-14
 参拝日 2015.1.11

     <由緒>

当社の創祀された時は明らかではありませんが、当社に伝わる略記によると、
貞観年間(清和天皇・八五九〜八七六年)には既に鎮座していたようです。

 武蔵野の村落である福徳村の稲荷神社として祀られ、その地名をとって社号としました。

 その鎮座する社地は広く、社殿も宏壮で、社の四隣は森林、あるいは田畑に囲まれ、
農家が散在する片田舎でした。
土地の人は神社の森を稲荷の森、その森の一端に建てられていた里程標(石造一里塚)を
「稲荷の一里塚」と呼び親しんでいました。
 

そもそも当社は、元来武将の信仰があつく、源義家(1039〜1106)が
深く崇敬されていたことが記されていた、と伝わっています。
江戸幕府以前には太田道灌公を合祀し、その兜・矢・鏃などが奉納されたと伝わっています。

 天正十八年(1590)八月一日に入府した徳川家康公は、
同じ八月に初めて参詣され、その後参詣は数度に及びました。

 芽吹神社御由緒

 さらに、二代将軍秀忠公は慶長十九年(一六一四)正月八日に参詣し、
「福徳とはまことにめでたい神号である」と賞賛されました。
この時、当社古例の椚の皮付きの鳥居に、春の若芽の萌え出でたのをご覧になり、
当社の別名を「芽吹神社」とされました。
元和五年(1619)二月に御城内の弁天宮を当神社に合祀するにあたり、
将軍自ら神霊を納められ、大和錦の幌を奉納され、さらに「社地縄張を三百三十坪」と定められました。

( 福徳神社HPより)






















<参拝メモ>

この神社、過去には人間の都合で移転させられたり、
震災や戦争などで被害を受けたりして、幾度も時代の荒波を乗り越えてきた
また今回はこの近辺、日本橋室町地区の再開発により
新築され、町のシンボルになるという。
これもまた、人間のご都合主義と言えなくもないが
神社が立派になり、人々が多く参拝するようになるということはよいことだ。

昨年(平成26年)新築遷座されたばかりなので、すべてが真新しかった。




     
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