深谷市黒田・豊栄神社>埼玉の神社>古社巡拝録
豊栄神社 とよさかじんじゃ |
ご神紋 左三つ巴 |
|
ご祭神 | ・ | |
鎮座地 | 埼玉県深谷市黒田1497 | |
参拝日 | 2015.2.12 |
<由緒> かって、この黒田には、鎮守が赤口(しゃぐち)社と聖天社の二社あった。 それは古くは地頭が二人いたためで、氏子区域も分かれていたという。 「赤口社、鎮守なり。万光寺持。末社 八幡 稲荷。 聖天社 是も鎮守なり、持同じ、 本地十一面観音、末社 天神 疱瘡神」と『風土記稿』にあるのも、 そういった経緯によったのであろう。 ただし『風土記稿』の書かれた化政期(1804−30)には、後に述べるように両社は すでに同一境内にあり、氏子区域も統合していたと思われる。 赤口社(神仏分離以後は赤口神社と改称)は、村の北方にある字赤口に鎮座していたが、 天正十八年(1590)の鉢形城陥落の際兵火に罹り、社殿・社宝等ことごとく 焼失してしまったと伝えられている。 この話は、長い間伝説上のものでしかなかったが、昭和十年に赤口社の旧社地と 伝えられる付近の林野を開拓した時、焼け跡のついた礎石(鎌倉時代のものと推定) が発見され、その地に社殿があったことが確認された。 一方、聖天社は、妻沼の聖天宮に祀られている歓喜天の分霊を祀ったものといわれ、 その内陣には、陰陽石が納められている。 神仏分離によって、この聖天社の祭神は伊弉諾命・、伊弉諾冊命に、 社名は二柱神社に改められ、明治九年七月には黒田村の村社になった。 豊栄神社の境内は、この聖天社の社地を元に、隣接する旧万光寺の 黒田級ニから土地の提供を受けて造成されたものである。 赤口社が聖天社の境内、すなわち現在の社地に移されたのは、正保年間(1644−48) のことと伝えられ、以来、赤口社と聖天社は相並んで祀られるようになった。 本殿が両社とも全く同じ造りであるのはそのためで、幣殿には「赤口大明神・大聖歓喜天」 と刻まれた文化元年(1804)の社号額も残っている。 明治三十九年十二月二十六日、赤口社は二柱神社に合祀され、二柱神社は 豊栄神社と改称した。この社名は「村が豊かに栄えるように」との願いを込めて 付けられたものであるといい、鎮守に寄せる氏子の気持ちが偲ばれる。 また、同四十一年四月には、地内の各所に鎮座していた無格社が 当社の境内社に合祀された。 (埼玉の神社 埼玉県神社庁より) |
荒御魂 戸隠 瑞穂 ------------------------- ------------------------- 昭和30年(1955)建立 炎尾形狛犬 |
<参拝メモ> 関越自動車道花園インター東1q、 、埼玉と山梨を結ぶ、彩甲斐街道(国道140)と荒川の左岸に鎮座している。 旧花園町黒田地区に鎮座している。 (駐車スペース有) |
HOME | INDEX |