深谷市針ヶ谷・八幡神社>埼玉の神社>古社巡拝録
針ヶ谷・八幡大神社 はりがやはちまんだいじんじゃ |
ご神紋 |
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ご祭神 | ・品陀別命(ほむだわけのみこと) ・比賣神(ひめのかみ) ・神功皇后(じんぐうこうごう) |
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鎮座地 | 埼玉県深谷市針ヶ谷228-3 | |
参拝日 | 2016.5.24 |
<由緒>
社掌宮本広吉の著した「由緒調査書」には、当社の由緒が次のようにある。
創建は天平十七年(745)九月二十五日のことで、
山城国男山八幡宮(石清水八幡宮)から分霊を勧請した。
別当は弘光寺で、ニ三世の法印裕尊は、源頼朝の侍念僧として仕え、
頼朝が伊豆に配流された際にその命を受けて源家再興のため、
当社を祈願所として開運を祈った。満願の後、頼朝から弘光寺に一五〇貫の寺領と
武具類が寄せられた。その後、天正年中(1573-92)に弘光寺は
兵災に罹り寺領・宝物・古文書類の一切を失った。
元和七年(1621)上野国吉井城主菅沼小大膳の後室に当村の内一ニ石を賜り、
この内の若干石を神饌料として当社と天満宮の両社に寄進した。
『明細帳』によれば、明治初年に村社となり、明治三十六年に字伊勢方の神明社、
同4四十一年に字東谷の天満宮をそれぞれ境内に合祀した。
天満宮は天徳ニ年(958)に河内国土師の天満宮(現大阪府の道明寺天満宮)から
勧請したと伝わる古社である。また、神明社は伊勢方の地名から推して
伊勢の御師にかかわる社と考えられ,同所御師がお祓い大麻を檀那に配るために
構えた宿舎のあったことが想像される。
内陣に収められている八幡大明神像
昭和六十二年に町内の内山河に住む画家
六郎田天鈴の手により彩色された。
「埼玉の神社 埼玉県神社庁」より
本殿内扁額 天満宮 v 神明 天神 山神 蚕影 富士 仙元 -0-0000000000000000000000 平成15年建立 狛犬 ------------------------ 神楽殿 |
<参拝メモ> 深谷市北西部、旧岡部町に鎮座している。 当地には、縄文期から平安期の集落跡があり、 古くから開けていたことが知られる。 また、地内にかって鎌倉街道が通り、『風土記稿』には「村内に一条の道あり、 児玉郡本宿より比企郡小川村へ通ず、是に鎌倉古街道と云伝ふ」とある。 「埼玉の神社 埼玉県神社庁」より (駐車スペースあり) |
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