青島神社>古社巡拝録

青島神社
あおしまじんじゃ
 
ご神紋
 ご祭神 
天津日高彦火火出見命(あまつひだかひこほほでみのみこと)
・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
・塩筒大神(しおづつのおおかみ)

 鎮座地 宮崎県宮崎市青島2−13
 参拝日 2015.5.01

<由緒>

元来は海洋に対する信仰によって創祀されたと考えられ、
古くから青島自体が霊域として崇められており、
そこから後述するように江戸時代まで全島が禁足地とされていた。
社伝によれば、山幸海幸神話で、彦火火出見命が
海神宮
わたつみのみや)から帰還した際に青島に上陸して宮を営んだため、
その宮跡に命と上記2柱の神を祀ったのに始まると伝える
寛文2年(1662年)の大地震で旧記古文書類を失った為に
創祀の古伝を詳らかにしえないという

神社の旧記によれば、平安時代日向国国司の巡視記とされる
『日向土産』なる書に「嵯峨天皇の御宇に奉崇(あがめまつる)
青島大明神」と記され当時既に崇敬されていたと伝え、その後文亀3年(1503年
伊東尹祐
によって再興されて以降、伊東市氏篤い崇敬を受け、
大永3年(1523年)、天正6年(1578年)、貞亮4年(1687年)、
寛保2年(1742年)、明和4年(1767年)、文化5年(1808年)と
6度にわたる社殿の造営・改修や、境内の保全事業が行われた。
また、飫肥藩時代は藩士の中で土器(かわらけ)格の者1人を島奉行に任じ
島内の樹林や磯辺を監守させた他、牛馬を渡島させたり発砲を禁じたりと
一切の汚穢を警戒させていた元文2年(1737年)まで入島は神職と島奉行のみに限られ、
村民は対岸の尖浜(現青島海水浴場)に拝所を設けて遙拝していたが、
当時の神主であった長友肥後が藩主に解禁を申請し、
以来一般人の渡島参詣が可能になった。

明治4年(1871年)村社に列し、戦後は神社本庁の別表神社に指定された。

(WIKIPEDIA)より

















石神社                    海積神社









元宮

平成19年建立狛犬

投瓮所



御祖神社(みおやじんじゃ)。
-------------------------

-------------------------
昭和49年(1974)建立 狛犬





青島亜熱帯植物園の海岸に建つ
瓊迩迩命と木花佐久夜姫の家族団らん像







<参拝メモ>

前夜宿泊した青島のホテルより至近の所にある。
亜熱帯植物園の駐車場に車を止め参拝。
鬼の洗濯板と呼ばれる、お馴染みの海岸を見ながら橋を渡り徒歩十分ほど。
朱塗りの社殿が美しい神社だった。


青島神社HP




     
 HOME    INDEX









inserted by FC2 system